2011年09月30日
自分で前向きにもがき
目的とは、自分を心から動かすものに自分の才能を用いることだ
ディック・ライダー
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
目的とは、自分の目の前にあることに、自分で前向きにもがき最善を尽くすことだ。
プラス
「心から動かす」ことでなく、
今、目の前にある課題に、
どう向き合うか
これの方が、大事なことだと思うなあ・・・。
「自分の才能」などはない・・・
だから、
「前向きにもがく」ことが
大事なことだと、私は思う。
ディック・ライダー
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目的とは、自分の目の前にあることに、自分で前向きにもがき最善を尽くすことだ。
プラス
「心から動かす」ことでなく、
今、目の前にある課題に、
どう向き合うか
これの方が、大事なことだと思うなあ・・・。
「自分の才能」などはない・・・
だから、
「前向きにもがく」ことが
大事なことだと、私は思う。
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2011年09月29日
人という字を刻んだ息子
読んで・・・涙が出てきたお話なので・・・ここに
載せさせていただきました。
『致知』メルマガから・・・
────────────────────────────────────
「人という字を刻んだ息子」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
秋丸由美子(明月堂教育室長)
『致知』2007年5月号「致知随想」
※肩書きは『致知』掲載当時のものです
※明月堂は「博多通りもん」で有名な福岡の和菓子店です。
…………………………………………………………………………………………………
■医師からの宣告
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
主人が肝硬変と診断されたのは昭和54年、結婚して間もなくの頃でした。「あと10年の命と思ってください」という医師の言葉は、死の宣告そのものでした。主人は福岡の菓子会社・明月堂の五男坊で、営業部長として会社を支えていました。その面倒見のよさで人々から親しまれ、たくさんの仕事をこなしていましたが、無理をして命を落としては、元も子もありません。私は「まずは身体が大事だから、仕事は二の次にして細く長く生きようね」と言いました。しかし主人は「精一杯生きるなら、太く短くていいじゃないか」
と笑って相手にしないのです。この言葉を聞いて私も覚悟を決めました。10年という限られた期間、人の何倍も働いて主人の生きた証を残したいと思った私は、専業主婦として歩むのをやめ、会社の事業に積極的に関わっていきました。30年前といえば、九州の菓子業界全体が沈滞ムードを脱しきれずにいた時期です。暖簾と伝統さえ守っていけばいいという考えが一般的な業界の意識でした。
明月堂も創業時からの主商品であるカステラでそこそこの利益を上げていましたが、このままでは将来どうなるか分からないという思いは常に心のどこかにありました。
そこで私は主人と一緒に関東・関西の菓子業界を行脚し、商品を見て回ることにしました。そして愕然としました。商品にしろ包装紙のデザインにしろ、九州のそれと比べて大きな開きがあることを思い知らされたのです。あるお洒落なパッケージに感動し、うちにも取り入れられないかとデザイナーの先生にお願いに行った時のことです。
「いくらデザインがよくても、それだけでは売れませんよ。それに私は心が動かないと仕事をお受けしない主義だから」
と簡単に断られてしまいました。
相手の心を動かすとはどういうことなのだろうか……。私たちはそのことを考え続ける中で、一つの結論に達しました。それは、いかに商品が立派でも、菓子の作り手が人間的に未熟であれば、真の魅力は生まれないということでした。人づくりの大切さを痛感したのはこの時です。
■「博多通りもん」の誕生
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
以来、菓子屋を訪問する際には、売れ筋の商品ばかり見るのではなく、オーナーさんに直接会ってその考え方に触れることにしました。しかし、同業者が突然訪ねていって、胸襟を開いてくれることはまずありません。行くところ行くところ門前払いの扱いでした。忘れられないのが、神戸のある洋菓子店に飛び込んだ時のことです。そのオーナーさんは忙しい中、一時間ほどを割いてご自身の生き方や経営観を話してくださったのです。誰にも相手にされない状態が長く続いていただけに、人の温かさが身にしみました。人の心を動かす、人を育てるとはこういうことなのかと思いました。いま、私たちの長男がこのオーナーさんのもとで
菓子作りの修業をさせていただいています。全国行脚を終えた私たちは、社員の人格形成に力を入れる一方、それまで学んだことを商品開発に生かせないと社長や製造部門に提案しました。
そして全社挙げて開発に取り組み、苦心の末に誕生したのが、「博多通りもん」という商品です。まったりとしながらも甘さを残さない味が人気を博し、やがて当社の主力商品となり、いまでは博多を代表する菓子として定着するまでになっています。
「天の時、地の利、人の和」といいますが、様々な人の知恵と協力のおかげでヒット商品の誕生に結びついたことを思うと、世の中の不思議を感ぜずにはいられません。
■「父を助けてください」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ところで、余命10年といわれていた主人はその後も元気で働き続け、私も一安心していました。しかし平成15年、ついに肝不全で倒れてしまいました。手術で一命は取り留めたものの、容態は悪化し昏睡に近い状態に陥ったのです。知人を通して肝臓移植の話を聞いたのは、そういう時でした。私の肝臓では適合しないと分かった時、名乗り出てくれたのは当時21歳の長男でした。手術には相当の危険と激痛が伴います。
万一の際には、命を捨てる覚悟も必要です。私ですら尻込みしそうになったこの辛い移植手術を、長男はまったく躊躇する様子もなく「僕は大丈夫です。父を助けてください」と受け入れたのです。この言葉を聞いて、私は大泣きしました。
手術前、長男はじっと天井を眺めていました。自分の命を縮めてまでも父親を助けようとする息子の心に思いを馳せながら、私は戦場に子どもを送り出すような、やり場のない気持ちを抑えることができませんでした。
そして幸いにも手術は成功しました。長男のお腹には、78か所の小さな縫い目ができ、それを結ぶと、まるで「人」という字のようでした。長男がお世話になっている神戸の洋菓子店のオーナーさんが見舞いに来られた時、手術痕を見ながら「この人という字に人が寄ってくるよ。君は生きながらにして仏様を彫ってもらったんだ。お父さんだけでなく会社と社員と家族を助けた。この傷は君の勲章だぞ」とおっしゃいました。この一言で私はどれだけ救われたことでしょう。
お腹の傷を自慢げに見せる息子を見ながら、私は「この子は私を超えた」と素直に思いました。と同時に主人の病気と息子の生き方を通して、私もまた大きく成長させてもらったと感謝の思いで一杯になったのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
感動。
載せさせていただきました。
『致知』メルマガから・・・
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「人という字を刻んだ息子」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
秋丸由美子(明月堂教育室長)
『致知』2007年5月号「致知随想」
※肩書きは『致知』掲載当時のものです
※明月堂は「博多通りもん」で有名な福岡の和菓子店です。
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■医師からの宣告
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主人が肝硬変と診断されたのは昭和54年、結婚して間もなくの頃でした。「あと10年の命と思ってください」という医師の言葉は、死の宣告そのものでした。主人は福岡の菓子会社・明月堂の五男坊で、営業部長として会社を支えていました。その面倒見のよさで人々から親しまれ、たくさんの仕事をこなしていましたが、無理をして命を落としては、元も子もありません。私は「まずは身体が大事だから、仕事は二の次にして細く長く生きようね」と言いました。しかし主人は「精一杯生きるなら、太く短くていいじゃないか」
と笑って相手にしないのです。この言葉を聞いて私も覚悟を決めました。10年という限られた期間、人の何倍も働いて主人の生きた証を残したいと思った私は、専業主婦として歩むのをやめ、会社の事業に積極的に関わっていきました。30年前といえば、九州の菓子業界全体が沈滞ムードを脱しきれずにいた時期です。暖簾と伝統さえ守っていけばいいという考えが一般的な業界の意識でした。
明月堂も創業時からの主商品であるカステラでそこそこの利益を上げていましたが、このままでは将来どうなるか分からないという思いは常に心のどこかにありました。
そこで私は主人と一緒に関東・関西の菓子業界を行脚し、商品を見て回ることにしました。そして愕然としました。商品にしろ包装紙のデザインにしろ、九州のそれと比べて大きな開きがあることを思い知らされたのです。あるお洒落なパッケージに感動し、うちにも取り入れられないかとデザイナーの先生にお願いに行った時のことです。
「いくらデザインがよくても、それだけでは売れませんよ。それに私は心が動かないと仕事をお受けしない主義だから」
と簡単に断られてしまいました。
相手の心を動かすとはどういうことなのだろうか……。私たちはそのことを考え続ける中で、一つの結論に達しました。それは、いかに商品が立派でも、菓子の作り手が人間的に未熟であれば、真の魅力は生まれないということでした。人づくりの大切さを痛感したのはこの時です。
■「博多通りもん」の誕生
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以来、菓子屋を訪問する際には、売れ筋の商品ばかり見るのではなく、オーナーさんに直接会ってその考え方に触れることにしました。しかし、同業者が突然訪ねていって、胸襟を開いてくれることはまずありません。行くところ行くところ門前払いの扱いでした。忘れられないのが、神戸のある洋菓子店に飛び込んだ時のことです。そのオーナーさんは忙しい中、一時間ほどを割いてご自身の生き方や経営観を話してくださったのです。誰にも相手にされない状態が長く続いていただけに、人の温かさが身にしみました。人の心を動かす、人を育てるとはこういうことなのかと思いました。いま、私たちの長男がこのオーナーさんのもとで
菓子作りの修業をさせていただいています。全国行脚を終えた私たちは、社員の人格形成に力を入れる一方、それまで学んだことを商品開発に生かせないと社長や製造部門に提案しました。
そして全社挙げて開発に取り組み、苦心の末に誕生したのが、「博多通りもん」という商品です。まったりとしながらも甘さを残さない味が人気を博し、やがて当社の主力商品となり、いまでは博多を代表する菓子として定着するまでになっています。
「天の時、地の利、人の和」といいますが、様々な人の知恵と協力のおかげでヒット商品の誕生に結びついたことを思うと、世の中の不思議を感ぜずにはいられません。
■「父を助けてください」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ところで、余命10年といわれていた主人はその後も元気で働き続け、私も一安心していました。しかし平成15年、ついに肝不全で倒れてしまいました。手術で一命は取り留めたものの、容態は悪化し昏睡に近い状態に陥ったのです。知人を通して肝臓移植の話を聞いたのは、そういう時でした。私の肝臓では適合しないと分かった時、名乗り出てくれたのは当時21歳の長男でした。手術には相当の危険と激痛が伴います。
万一の際には、命を捨てる覚悟も必要です。私ですら尻込みしそうになったこの辛い移植手術を、長男はまったく躊躇する様子もなく「僕は大丈夫です。父を助けてください」と受け入れたのです。この言葉を聞いて、私は大泣きしました。
手術前、長男はじっと天井を眺めていました。自分の命を縮めてまでも父親を助けようとする息子の心に思いを馳せながら、私は戦場に子どもを送り出すような、やり場のない気持ちを抑えることができませんでした。
そして幸いにも手術は成功しました。長男のお腹には、78か所の小さな縫い目ができ、それを結ぶと、まるで「人」という字のようでした。長男がお世話になっている神戸の洋菓子店のオーナーさんが見舞いに来られた時、手術痕を見ながら「この人という字に人が寄ってくるよ。君は生きながらにして仏様を彫ってもらったんだ。お父さんだけでなく会社と社員と家族を助けた。この傷は君の勲章だぞ」とおっしゃいました。この一言で私はどれだけ救われたことでしょう。
お腹の傷を自慢げに見せる息子を見ながら、私は「この子は私を超えた」と素直に思いました。と同時に主人の病気と息子の生き方を通して、私もまた大きく成長させてもらったと感謝の思いで一杯になったのです。
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感動。
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2011年09月28日
生まれた瞬間から死に向かって生きはじめる
人間は、生まれた瞬間から死に向かって生きはじめる。
そして、生きるために食べなくてはならない。
なんという矛盾だろう。
それでいて人間の躰は、たとえ、一椀の味噌汁を味わっただけで生き甲斐をおぼえるようにできている。
何と、ありがたいことだろう。
池波 正太郎
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
毎日、死に向かって生きている。
親の死がちかくなり、私自身も、初老鬱をあじわった。
親が死に、根っこが無くなり、もどるところがなくなったような気がしている。
それでもなんでも、
一杯のみそ汁で、生きがいを感じるように、
今日見附をしながら
生きることが、一番大事な生き方なんだろうなあと思っている。
9月12日
満月を見ると、親を思い出すことが出来るのも、
幸せということか。
スゴイ社会的な親だった。
お手本に出来るというのが、子どもにとっては、有難いこと。
死に際も見事。
周りにグチをこぼさず、
身近な者をほめ、
自分で、
口を小さくして・・・。
私もそうありたいもの。
そして、生きるために食べなくてはならない。
なんという矛盾だろう。
それでいて人間の躰は、たとえ、一椀の味噌汁を味わっただけで生き甲斐をおぼえるようにできている。
何と、ありがたいことだろう。
池波 正太郎
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毎日、死に向かって生きている。
親の死がちかくなり、私自身も、初老鬱をあじわった。
親が死に、根っこが無くなり、もどるところがなくなったような気がしている。
それでもなんでも、
一杯のみそ汁で、生きがいを感じるように、
今日見附をしながら
生きることが、一番大事な生き方なんだろうなあと思っている。
9月12日
満月を見ると、親を思い出すことが出来るのも、
幸せということか。
スゴイ社会的な親だった。
お手本に出来るというのが、子どもにとっては、有難いこと。
死に際も見事。
周りにグチをこぼさず、
身近な者をほめ、
自分で、
口を小さくして・・・。
私もそうありたいもの。
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2011年09月27日
「ありがとう」
「ありがとう」言う方は何気なくても言われた方はうれしい。
「ありがとう」これをもっと素直に言い合おう。
松下 幸之助
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何度も出てくる。
「ありがとう」
しっかり、いえているだろうか。
ありがとうを伝えているだろうか。
「ありがとう」これをもっと素直に言い合おう。
松下 幸之助
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何度も出てくる。
「ありがとう」
しっかり、いえているだろうか。
ありがとうを伝えているだろうか。
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2011年09月26日
理屈っぽいのが一番修行の妨げ
修行中は馬鹿になっていなければ上達しない。
馬鹿という言葉を言い換えれば、ものに拘らない素直なことである。
理屈っぽいのが一番修行の妨げになる。
宮城 道雄
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
素直ということだろう。
わかるなあ・・・。
馬鹿という言葉を言い換えれば、ものに拘らない素直なことである。
理屈っぽいのが一番修行の妨げになる。
宮城 道雄
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素直ということだろう。
わかるなあ・・・。
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2011年09月25日
幸福は内面的なもの
幸福は内面的なもの。どんなものを持っているかではなく、私達がどんな人間であるかにかかわっている。
ヘンリー・ヴァン・ダイク
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
できごとを動うけとめることができるのか。
どう感じるのか。
他人のことはいわなくていい。
自分の感情を自分で操縦でき、
よいうけとめかたができる自分にせいちょうさせることで、幸福がます。
感謝力だと思う。
ヘンリー・ヴァン・ダイク
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できごとを動うけとめることができるのか。
どう感じるのか。
他人のことはいわなくていい。
自分の感情を自分で操縦でき、
よいうけとめかたができる自分にせいちょうさせることで、幸福がます。
感謝力だと思う。
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2011年09月24日
手近な防衛
自ら進んで求めた孤独や他者からの分離は、人間関係から生ずる苦悩に対してもっとも手近な防衛となるものである。
ジークムント・フロイト
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
無理矢理近づかないでいいんです。
自分から、距離をとっていいのです。
逃げることも、解決方法の一つ。
ジークムント・フロイト
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無理矢理近づかないでいいんです。
自分から、距離をとっていいのです。
逃げることも、解決方法の一つ。
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00:08
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2011年09月23日
尊敬すべき幸福な人は
尊敬すべき幸福な人は、逆境にいても、つまらぬことはくよくよせず、心配しても始まらないことは心配せず、自分の力のないことは天に任せて、自分の心がけをよくし、根本から再生の努力をする人である。
武者小路 実篤
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
逆に言うと・・・自分の範疇のことは・・・できるだけ・・・しっかりしましょう。
・・・ということ。
出来ないことでは・・・クヨクヨせず・・・
やることをして・・・開き直る。
しかし、やることをするというところが、平凡な自分には、なかなかなのですよね。
期日を切られた、まとめるということは、・・・
いい時間を与えてくださっていることは・・・確か。
前向きに・・・
ピンチをチャンスと・・とらえて・・・
短い人生の中なのだから・・・
武者小路 実篤
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
逆に言うと・・・自分の範疇のことは・・・できるだけ・・・しっかりしましょう。
・・・ということ。
出来ないことでは・・・クヨクヨせず・・・
やることをして・・・開き直る。
しかし、やることをするというところが、平凡な自分には、なかなかなのですよね。
期日を切られた、まとめるということは、・・・
いい時間を与えてくださっていることは・・・確か。
前向きに・・・
ピンチをチャンスと・・とらえて・・・
短い人生の中なのだから・・・
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2011年09月22日
感激いっぱいのいのちを
一生悟れなくてもいいから感動いっぱい、感激いっぱいのいのちを生きたいと思います
相田 みつを
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
きっと、「今日見つけ」をする眼を持つということだと、思います。
今、生きているときに、周りの個とを・・いい眼目で・・・優しい眼で・・・きれいな眼で・・・
今日のすてきさを見ることが出来る眼をもって生活するということなのだと思います。
豊かに
今日一日を・・生きるということ。
大事にしたいと思います。
相田 みつを
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
きっと、「今日見つけ」をする眼を持つということだと、思います。
今、生きているときに、周りの個とを・・いい眼目で・・・優しい眼で・・・きれいな眼で・・・
今日のすてきさを見ることが出来る眼をもって生活するということなのだと思います。
豊かに
今日一日を・・生きるということ。
大事にしたいと思います。
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2011年09月21日
深い意味が出来る
自覚さえすればどんな生活にだって深い意味が出来る。
永井荷風
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今、この生活で・・・
どう生きるか・・・
今、ここを生きていることが・・・意味を持っている。
自分で、良い意味を見つけることが、大事なこと。
自分で大地に・・根を入れていく作業をすること。
永井荷風
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今、この生活で・・・
どう生きるか・・・
今、ここを生きていることが・・・意味を持っている。
自分で、良い意味を見つけることが、大事なこと。
自分で大地に・・根を入れていく作業をすること。
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